PL学園剣道部18期古稀の集い

令和6年12月7日(土)
「PL学園剣道部18期古稀の集い」
開催しましたのでご報告します。
18期は剣道部創部10年目にあたり、それまで10名前後の新入生でしたが、この年は17名が入学入部しました。
1970年は大阪万博が有り3回学園から見学学習に訪れ「月の石」「自動人間洗浄風呂」等が記憶に有ります。
それとワイヤレスフォンの使用が出来たので皆んな両親に電話していた様子でした。
この年のインターハイは京都府で開催され出場しましたが予選で惜敗でした。
野球部はこの年甲子園準優勝を果たし一度だけ甲子園に応援に行きました。
あとは稽古のみでした。
楽しみにしていた故郷への帰省は決勝戦の翌日で、京都駅から夜行列車に乗り翌日に我が家に辿り着きました。
8月23日だったので故郷の友達は二学期が始まる直前で誰も遊んでくれず、地元の道場で稽古に明け暮れた記憶が有ります。
明けて春には九州遠征が有りました。
2年生になる時、同級生が2人退寮して15名になりました。
脚や腰の具合が悪くなり稽古に付いていけなくなった次第でした。
1971年は徳島県インターハイが有りましたが予選惜敗でした。
1972年昭和47年、3年生の時に福岡県で開催の玉竜旗大会に九州外で初めて招待され初出場しました。
長崎東にコート決勝で惜敗し、そのまま長崎東が優勝でした。
大会終えて山形県への移動の為その夜に東京迄ムーンライト飛行に乗ったのが記憶に有ります。
そして山形県インターハイで団体戦初優勝を果たす事が出来ました。上辻監督•上田監督のお陰で優勝出来ました。
卒業は1973年昭和48年2月14日でした。
15名が巣立ちそれぞれの道を歩き、51年経って古稀の歳を迎え、還暦祝い以来の集まりをキャプテン山下照喜の声掛けで久しぶりに再会しました。
卒業以来初めて会うと云う人も居て、お互いの歳格好を確認するや剣徳寮生に戻り歓談しました。
同級生の内、故人2人(上辻恵資〈上辻熊夫元監督の長男〉•大西敏嗣)、療養中1人杉本数敏(愛知県在住)、ぎっくり腰ドタキャン1人福留英幸(鹿児島県在住)、15名中11人が集まりました。
遠くは滋賀県1人、三重県1人、大阪府3人、福岡県1人、大分県1人、迎える熊本県4人でした。
阿蘇の温泉に浸かり、宴会で昔話に華が咲き、そのまま宿泊ホテルの一室に集まり二次会して夜更けに眠りに着きました。
翌朝は皆一緒に朝食を頂き、「PLの朝食もバイキングだったら良かったのにな〰️」とか云いながら昨夜の続きでまた盛り上がりました。
その後ホテルを後にして阿蘇神社参拝して解散、それぞれの帰路に着きました。
とても楽しいひとときでした。
2年後の再会を福岡県博多でする事を決め必ず元気で再会する事を約束しました。
宴会前の集合写真を掲載します。
皆んな爺さんになりました。

ご報告迄に
18期  熊本県 中嶋隆志 拝

後列左から別所政美、北園(本田)良一、平松智宏、山根文夫、中島義文、西川良嗣、中嶋隆志。 前列左から山下照喜、蔵原親利、猿渡英輔、中西(本村)武。 以上